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東京地方裁判所 昭和32年(ワ)10062号 判決 1971年10月08日

原告 本田幸吉

補助参加人 今泉貞雄

被告 国

訴訟代理人 叶和夫 外二名

主文

一、原告の本件訴のうち境界確定を求める部分を却下する。

二、原告その余の請求を棄却する。

三、訴訟費用は参加によつて生じた部分は補助参加人の負担とし、その余の部分は原告の負担とする。

事  実 <省略>

理由

一、まず、本件境界確定の訴について原告に当事者適格があるかどうかについて判断する。

原告の主張は、原告は福島県岩瀬郡天栄村(旧湯本村)大字湯本字小白森一番林二八八三町六反歩(本件土地)の上に生育する立木の所有名義人であるというにとどまり、原告が右土地の所有権または右土地の処分権能を有することについて何ら主張立証がない。そして、土地の所有権または土地についての処分権能を有しない者は土地境界確定の訴の当事者適格がないと解するのが相当であり、土地上に生育する立木の所有者といえども右の例外ではないから、原告の本件土地の境界確定を求める訴は不適法として却下を免れない。

二、原告が本件土地上の立木について補助参加人との信託契約によつて管理処分の権限を有しているか否かはしばらく措くとして、原被告間の最も重要な争点である本件土地の具体的範囲について検討することとする。

本件土地がもともと旧湯本村大字湯本および田良尾の所有であつたこと、ところが、明治初期の改租のさいに誤つて官有林に編入されてしまつたので、旧湯本村の大字湯本および田良尾の村民は明治二七年一月三一日、農商務省に本件土地を含む別紙裁判宣告書添付の請求地目録記載の合計一二筆の一七、一七七町三反二畝二六歩の官林および官有地を民有地に下戻すよう申請したが、明治三七年一〇月一四日、農林大臣より右申請を却下されたこと、そこで、国(農林大臣)を被告として行政裁判所に右却下処分の取消と右官林および官有地の下戻を求める訴えを提起したこと、その結果、昭和一二年一二月一八日に、行政裁判所は右請求地中本件土地に関する却下処分を取消し、本件土地を湯本村に下戻すべしとの判決をなしたこと、そして、昭和一三年二月一七日の農林大臣指令に基いて所轄宮林署が湯本村に現実に引渡した土地の範囲が別紙図面記載の(い)、(ろ)、(り)、(ぬ)、(る)、(を)、(い)の各点を順次結んだ線で囲まれた地域((A)地域)であることは原被告間において争いがないし、補助参加人においても明らかに争わないから自白したものとみなす。

三、ところで、<証拠省略>および弁論の全趣旨によれば、本件土地が湯本村に下戻されたのは、明治三二年法律第九九号国有土地森林原野下戻法に基くものであることは明らかであるが、右法律に基いて行政裁判所が山林下戻の判決をしたときは、右下戻しは下戻請求者に山林の所有権を新たに創設する効力を有するものであり、かつて下戻請求者に属していた所有権を回復するという性質のものではなく、また、右判決による所有権創設の効果は下戻判決それ自体によつて生じるのであつて、主務官庁の具体的下戻処分はいわばその履行行為にすぎないと解するのが相当である。

したがつて右判決によつて下戻の対象とされなかつた土地については、そもそも所有者が創設されていないのであるから、かつて湯本村に所有の事実があつたからといつてその所有権を主張できないことは論をまたない。

そうすると、いかなる範囲の土地が湯本村の所有とされるに至つたかということは、もつぱら、いかなる範囲の土地が行政裁判所の前記判決によつて下戻されたかによつて決せられることになるが、下戻判決は、一般の判決と同様、判決主文に包含される判断にのみ既判力を生じ、そのよつてきたる理由には何ら確定力がないから、結局、本件土地の範囲は右判決の主文によつて決せられることになる。

もつとも、下戻の対象になつた土地の範囲が右主文だけでは確定できないときには、行政裁判所がいかなる範囲の土地を下戻す意思を有していたかといういわば一種の効果意思の内容については、判決の事実および理由をも含めて、当該判決全体の記載によつてこれを明確にすべきことはいうまでもないが、一種の行政区画をもつて下戻の対象を表示している場合には、その他の資料をもつて、その行政区画の客観的範囲を明らかにし、これによつて判決主文の客観的内容を具体的に確定することも妨げないというべきである。

四(一)  原告は、前記(A)地域のほかに、別紙図面記載の(ろ)、(は)、(に)、(ほ)、(へ)、(と)、(り)、(ろ)の各点を順次結んだ線で囲まれた地域((B)地域)および同図面、(を)、(わ)、(か)、(よ)、(た)、(ぬ)、(る)、(を)、の各点を順次結んだ線で囲まれた地域((C)地域)も、前記行政裁判所判決によつて下戻された本件土地に含まれると主張するので、その当否について判断する。

(二)  まず、原告は、前記行政裁判所の判決を根拠に、行政裁判所は、河内山(小白森山の旧称)が湯本村の「村山」と呼ばれていたこと、および嘉永四年中に湯本村が松川村治郎作に右河内山のうち大川涯、萱輪沢、アカニ沢入口までの地域の自然生の槙を代金七〇両で売却したことを根拠にして本件土地の下戻を認めたのであり、右の大川涯、萱輪沢、アカニ沢入口は(B)地域内にあるから(B)地域も下戻の対象になつていたと主張する。

たしかに、<証拠省略>によれば、行政裁判所は、下戻請求者である湯本村が提出したいくつかの書証中に河内山(または川内山、川内山川)と記載されている地域が湯本村の「村山」と呼ばれていたこと、また、湯本村が嘉永四年中に松川村治郎作という者に右河内山のうち大川涯、大川輪沢、アカニ沢入までの地域における主産物と認められる自然生の槙を代金七〇両で売却したことを認定したうえ、右村山のうち、自然生の槙を売却した地域にして湯本村が右訴訟で下戻を求めた本件土地を含む一二筆の土地に符合することが明確なものは湯本村の所有とすべきであると論じていることは認められる。

しかし、<証拠省略>によれば、行政裁判所はさらに進んで、行政裁判所評定官阿部文二郎の実施した検証調書<証拠省略>に基いて、湯本村が松川村治郎作に槙を売却した地域が湯本村の請求地のいずれに該当するかを検討したうえ、右の地域が本件土地に該当する部分範囲は争いがないけれども、その他の請求権に該当する部分範囲は明確でないとの理由で、結局本件土地だけを湯本村に下戻すことにしたこと、そして右検証調書には前記の大川涯、大川輪沢は字上河内一番に、アカニ沢入の一部は字東平一番にそれぞれ該当する(その意味で、右の大川涯等の地域は字小白森である本件土地には含まれない)旨の記載があることが認められ右認定に反する証拠はない。

そうすると、右行政裁判所の判決を合理的に解釈すれば、行政裁判所は、湯本村が松川村治郎作に槙を売却した地域である右の大川涯、大川輪沢、アカニ沢入の一部は字上河内一番および字東平一番に含まれるが、その全部に及ぶものか、その一部にすぎないのか、その部分範囲が明らかでなかつたので、字上河内一番および字東平一番は下戻さないことにし、アカニ沢入と呼ばれる地域がその全部に及んでいるところの字小白森一番のみを下戻すことにしたと解さざるをえない。

(三)  つぎに、原告は、(C)地域もまた湯本村の「村山」であつたし、行政裁判所は「村山」であつたことを理由に本件土地を下戻したのであるから、右(C)地域も本件土件の範囲内であると主張する。

しかし、甲第二号証によつて明らかなとおり、行政裁判所は「村山」のうち松川村治郎作に槙を売却した地域にして部分範囲の明確な部分を湯本村の所有と認めたのであつて、単に「村山」と称していたとの事実のみによつて湯本村の所有を認めたものではないから、この点に関する原告の主張は採用できない。

五(一)  以上のとおり、行政裁判所は字小白森一番に該当する地域だけを湯本村に下戻したのであるが、右判決は字小白森一番国有林二八八三町六反歩と表示して、一種の行政区画をもつて本件土地の下戻を命じているのみで、その客観的、具体的範囲については判決の主文および理由を通じて、何ら明らかにしていないので、その具体的範囲が(A)地域に限られるか否かについては更らに検討の必要がある。

(二)  <証拠省略>によれば、行政裁判所は湯本村が松川治郎作に槙を売却した地域が湯本村の請求地のいずれに該当するかを検討し、その判決理由中に前記の検証調書中の該当認否一覧表を引用しているが、右検証調書の付属図面である検証図<証拠省略>は、現地の地名および字名等についての当事者の主張に基いて作成され、これに基いて検証を実施した結果、右該当認否一覧表が作成されたものであること、また、右検証図の記載については当事者間に争いがなかつたことが認められ、右認定に反する証拠はないので、行政裁判所が本件土地としていかなる範囲の土地を下戻す効果意思を有していたかを明らかにするためには右検証図を判断の基本的資料としなければならない。

そして、右検証図<証拠省略>には(A)地域が字小白森一番としての本件土地と一致する記載があることが認められ、右認定に反する証拠はない。

そうすると、行政裁判所の効果意思としては、下戻の対象となつた字小白森一番の土地の具体的範囲は(A)地域の範囲内に限られると解さざるをえない。

(三)イ  そこで、行政区画としての字小白森一番の土地の客観的範囲が(A)地域よりも広いかどうかということがつぎの問題となるが、この点に関して、本件土地には(A)地域のみでなく(B)、(C)地域も含まれているとの原告の主張は、本件土地の公簿(国有森林地籍台帳)上の面積が二八八三町六反歩であり、行政裁判所の前記判決にもこの数字が主文に掲げられていることを前提とし、(A)地域の実測面積が約四〇〇町歩しかないから本件土地は(A)地域より広範囲であるべきであるとの推論を基本にしている。すなわち、

字二俣一番の公簿上の面積は四六六町六反二〇歩、字鍋山一番のそれは二〇八町四反一六歩で、公簿上の面積ではそれぞれ本件土地の約六分の一および約一三分の一しかないのに、(A)地域のみを本件土地とすると、前記の検証調書付属の検証図によれば、これらの土地はそれぞれ本件土地の約三・五倍および約一・七倍の広さになつてしまうことになる。また、別紙図面(よ)、(た)の各点を結ぶ中間で二俣川に四側から注ぐ渓流があるが、これは、右検証図によれば字鍋山一番と字二俣一番との境界ということになつているけれども、実際は字西平一番と字鍋山一番との境界である(別紙図面中「<神社の地図記号>」の記載のある地点が御鍋神社であり、この神社のある地域が字鍋山一番なのである)。

そして右渓流の北側を字鍋山一番、その南側から(C)地域の西端までを字西平一番(公簿面積は一三〇二町歩)とし、(A)、(B)、(C)の各地域を合わせた地域を本件土地とすると、右の各土地の面積は公簿上の面積にほぼ比例する。さらに、(A)地域のみを本件土地とすると、小白森山の東側の半分だけが本件土地ということになるが、小白森山は大白森山や鎌房山、二岐山と異り、山の中を郡境が定つていないから、人為的に区分されることなく小白森山全体が一つの字で本件土地と考えるのが自然である。

また、(A)地域の北東の境界は不自然であり、自然な境界線をひくなら本件土地に(B)地域を含めざるをえない。

というのである。

ロ  たしかに、字鍋山一番と字西平一番との境界が原告主張のとおりであり、かつ、原告主張の公簿上の面積が実測面積に近いかもしくは実測面積に比例するとの確証があるのであれば、(C)地域の一部または全部が本件土地の範囲内に含まれると解してさしつかえないであろう。そして、<証拠省略>および弁論の全趣旨を総合すると、前記の行政裁判所の検証のさいに、湯本村は字鍋山と字西平の境界として原告主張の渓流の付近(平九郎谷)を主張したことが窺えないわけではない。

しかし、本件土地の公簿上の面積が二八八三町六反歩であることについては当事者間に争いがないけれども、これが正確な意味での実測面積でないことは原告も自認するところであり、<証拠省略>および弁論の全趣旨によれば、右の面積の表示は実測を経ないおよその見積反別が地積として記載されていた明治二一年調裏の森林地取調書の記載がそのまま国有林野地積台帳に引写されたものであることが認められ右認定に反する証拠はない。そして、<証拠省略>によれば、本件土地の実測面積は一七一町二畝二九歩、本件土地周辺の九筆の土地を合併したものの実測面積か二、三三四町五反六畝六歩(公簿上の面積は合計一二、一〇七町二反三畝一六歩)であることが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

そうすると、右の公簿上の面積がいかなる経緯でそのように記載されるに至つたのかはかならずしも明らかではないが、その実測面積とはほど遠い数字(かりに山の斜面の側面面積を記載したとしてもその水平投影面積の十数倍になることはありえない)から考えて、旧幕時代の不正確な伝承をそのまま引き継いだものと考えるほかなく、この点において、公簿上の面積が実測面積に近いものであることを前提とする原告の主張はその根拠を失うのであるが、さらに、原告主張の境界の点については、前記のとおり、前記検証調書付属の検証調書の記載について湯本村も含めて当事者間に争いがなかつたというのであるから、右検証図と異る原告主張の線を字鍋山と字西平の境界と断定するためには、さらに明確な証拠を必要とするところ、前記証人の各証言および原告本人尋問の結果は、その供述自体に首尾一貫しないことがあることにてらしてにわかに採用することができないし、また原告の主張に沿う<証拠省略>の証人星重左衛門の供述記載部分も直ちに信用することはできず他に右事実を認めるに足りる証拠はない。

また、小白森山には郡境が走つていないから山全体が一つの字だというのは臆測を出るものではないし、(A)地域の北東の境界については、別紙図面記載の(ろ)、(り)の各点を結ぶ線は山稜の頂点と沢の分岐点を基準にした点とを結ぶ線であつて、山林の境界としてはさほど不自然なものとはいえないし、前記四の(二)認定のとおり、(B)地域は字上河内と字東平にあたることが窺えるので、この点に関する原告の主張も採用できない。

そうして、他にこの点に関する原告の主張事実を積極的に認定できる証拠はない。

六  原告は郡山税務署長が本件土地二、八八三町六反歩の立木に対して課税処分をなして今泉貞雄が(A)地域上の立木だけでなく、(B)、(C)地域の立木をも所有していることを認めたと主張する。

たしかに、原告本人尋問の結果および<証拠省略>によれば、原告が本件土地上の立木に対する昭和二三年度の財産税を納入したことが認められるが、右の二、八八三町六反歩なる数字が本件土地の実測面積ではなく、単に公簿上の面積にすぎないことは前記認定のとおりであるから、税務署長が徴税処分に関し、本件土地の面積の表示として右の数字を使用したからといつて、(A)地域以外の土地上の立木の所有権を認めたことにはならない。

八  以上のとおり、原告の本件訴のうち境界確定を求める部分については不適法であるからこれを却下し、その余の請求は理由がないので棄却することとし、民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 緒方節郎 定塚孝司 水沼宏)

別紙 裁判宣告書<省略>

別紙図面<省略>

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